ヒーラーの覚醒:あなたは「道具」であって「能力者」ではない

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スピリチュアルな道での自己執着から解放される

こんなタイトルで記事を書くとバッシングが起こるかもしれないですが、頑張って書いてみます。

スピリチュアルな道を歩む私たちは、ある時点で重要な気づきを迎えます。それは「私がヒーリングをしている」という思い込みから「私はただのチャネルである」という真実への目覚めです。この気づきは、スピリチュアルな成長において最も重要な転換点の一つかもしれません。

最近、ある言葉に深く心を動かされました。

親切、見返りを求めた瞬間、それは欲望になる。
正義、他者をさばくことに変わると、怒りと対立を生む。
努力、承認されたい欲求に支配されると、執着になる。

これはスピリチュアルな実践においても、特にヒーリングやエネルギーワークを行う人にとって、心に留めておくべき真理だと感じています。この記事では、ヒーラーとして陥りがちな3つの罠について考えてみましょう。

ヒーラーの第一の罠:「私が癒している」という幻想

「チャネル」という本質を忘れない

古来から伝わる多くのスピリチュアルな教えでは、ヒーラーは「自分が癒している」のではなく、「癒しのエネルギーが流れる通路」であると説いています。これは現代の量子物理学の視点からも興味深い考え方で、私たち一人ひとりが広大なエネルギーフィールドの一部であることを示唆しています。

しかし、クライアントから「あなたのおかげで良くなりました」と感謝されると、いつの間にか「私が癒した」という思い込みが生まれがちです。そして「ありがとう」の言葉を期待し始め、それがないと不満を感じるようになります。これは「親切」がいつの間にか「欲望」に変わる瞬間です。

自分は単なる「媒体」であることを思い出す

私も以前、セッションを行った後に「効果があった?」「どう感じた?」とクライアントの反応を求めていた時期がありました。その後の感想が届かないと「私のヒーリングは効果がなかったのかな」と落ち込むこともありました。

しかし、真のヒーラーは結果にとらわれません。なぜなら、私たちはただの通路であり、真のヒーリングは宇宙のエネルギー、愛、生命力(どう呼ぶかは人それぞれでしょう)によって行われるものだからです。私たちの役割は、ただそのエネルギーが流れるスペースを作り、邪魔をしないことなのです。

「私は特別な能力者だ」という思い込みを手放したとき、逆説的に、より深いヒーリングが起こり始めるのを経験します。自我を脇に置き、謙虚に「チャネル」となったとき、より純粋なエネルギーが流れるのです。

ヒーラーの第二の罠:「スピリチュアルな正義」の押し付け

「見える」ことの責任

スピリチュアルな感覚が開かれると、時に相手の問題点や課題が「見える」ようになることがあります。オーラの乱れ、チャクラのブロック、過去生のトラウマなど、一般の人には見えない情報にアクセスできることもあるでしょう。

しかし、この「見える」という能力は、大きな責任を伴います。「あなたの問題はこれです」「あなたはこうすべき」と判断し、自分のスピリチュアルな「正義」を押し付ける危険性があるのです。

相手の選択を尊重する謙虚さ

私も初心者の頃、読み取った情報をすべて伝えることが「誠実さ」だと思っていました。しかし、それは時に相手を混乱させ、傷つけることもあると気づいたのです。

スピリチュアルな真理は、相手が受け取る準備ができたときに初めて意味を持ちます。「正義」が「裁き」に変わると、それは対立を生み、結果的に相手の成長を妨げることになります。

真のヒーラーは、自分の「見え方」が絶対ではないことを理解しています。私たちはあくまで一つの視点を提供するだけであり、相手の魂の旅路を尊重し、その人自身の内なる叡智を信頼する謙虚さを持つことが大切なのです。

ヒーラーの第三の罠:スピリチュアルな「承認欲求」

「能力者」としての評価への執着

スピリチュアルな道を歩み始めると、自分の感覚や能力の正確さを確かめたくなるものです。「当たっていた」という反応や、「すごい力を持っていますね」という評価に喜びを感じることも自然なことでしょう。

しかし、その喜びが「承認欲求」へと変わるとき、私たちは「努力」から「執着」へと滑り落ちていきます。SNSでのフォロワー数、セミナーの参加者数、クライアントからの賞賛の言葉に依存するようになると、本来の目的である「人々の幸せに貢献する」という純粋な動機が曇ってしまいます。

内なる静けさを取り戻す

私も自分の「当たり」や「霊視の正確さ」に固執していた時期がありました。しかし、古代のシャーマンやヒーラーたちの多くは、名声や評価を求めず、ただ自分の役割を果たすことに集中していたことに気づかされたのです。

真のヒーラーの力は、「能力の高さ」ではなく「エゴの小ささ」から生まれます。自分がどれだけ評価されるかではなく、どれだけ純粋なチャネルになれるかが大切なのです。

毎日の瞑想やグラウンディングの実践を通じて、「私は何者か」という問いに立ち返り、内なる静けさを取り戻すことが、スピリチュアルな実践者にとって最も重要な日課と言えるでしょう。

真のヒーラーへの道:「無我」の実践

日常の中で「チャネル」であることを思い出す

真のヒーラーとなるための鍵は、日常生活の中で常に「私はただのチャネルである」ことを思い出すことにあります。セッション中だけでなく、友人との会話、家族との時間、自然の中での瞬間瞬間に、自分という存在が宇宙のエネルギーの一部であることを感じてみましょう。

私は毎朝のルーティンとして、「今日一日、私は宇宙の愛とエネルギーが流れる透明な器となります」と唱えています。また、クライアントとのセッション前には必ず「私ではなく、必要なエネルギーが流れますように」と意図を設定します。こうした小さな実践が、少しずつ「私が」という思い込みを溶かしていきます。

「無我」のヒーリングへ

東洋の伝統的な教えでは、最高の技は「無心」の状態で発揮されると言います。ヒーリングにおいても同じことが言えるでしょう。「どう見られるか」「結果はどうなるか」という思いを手放し、ただその瞬間に存在し、エネルギーが自然に流れるままに任せる。

クライアントが良くなったとき、「私のおかげ」ではなく「あなたの内なる力が目覚めた」と心から喜べるヒーラーこそ、真のヒーラーと言えるのではないでしょうか。

終わりに:光を通すクリスタルになる

スピリチュアルな実践者として、私たちはクリスタルのような存在を目指しましょう。クリスタルは自ら光を作り出すのではなく、光を通し、時に増幅し、美しく屈折させるだけ。

「私が癒している」という思い込みから解放され、「私を通して癒しが起こっている」という理解に移行するとき、私たちはより純粋なヒーリングのチャネルとなれるでしょう。親切も、正義も、努力も、すべては宇宙からの贈り物であり、私たちはただそれを通す媒体に過ぎないのです。

この気づきは、ヒーラーとしての効果を高めるだけでなく、私たち自身をエゴの重荷から解放し、より軽やかに、より喜びに満ちたスピリチュアルな旅路へと導いてくれることでしょう。あなたが純粋なチャネルとなり、この世界に光をもたらす存在であることを心から願っています。

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